コロンビア紛争とコーヒー農家

平和にむけて!

マイルドコーヒーの代名詞といえばコロンビアコーヒーですが、わたしたちに届くまでのその背景にあるものは決して「マイルド」ではありません。

コロンビアのコーヒー農家たちは、長年にわたる紛争の中で多くの苦難「ビター」に直面してきました。

戦闘に巻き込まれて家族を殺害された、土地家屋を強奪されて避難生活を余儀なくされた、せっかく作ったコーヒー豆を奪われたなど、おびただしい数のコーヒー農家が紛争による暴力に巻き込まれてきました。

それでも、彼/彼女らは希望と誇りを持ち続け、素晴らしいコーヒーを作り続けています。

わたしたちコーヒーラバーは、ただおいしくいただくだけではなく、どのような背景を経て届いているのか、考えていくことも大切なことだと思います。

この記事に関心があると思われる人
✓コロンビアの紛争に興味のある人コーヒー農家と紛争
✓平和の関係について気になる人
✓自分の飲むコロンビアコーヒーの背景について知りたい人
✓復興や平和構築への取り組みについて関心のある人
✓コロンビアコーヒーを販売している人 

コロンビア紛争の歴史

ラテンアメリカ諸国では、冷戦構造下にあって格差と不平等が大きく広がった20世紀中ごろ、政府への不満をもとに左翼革命運動が起こっていました。有名なチェ・ゲバラやフィデル・カストロに代表されるキューバ革命、中米エルサルバドルやニカラグァでの内戦、チリやボリビアでも社会主義を求める革命が起きました。

コロンビアでも、例にもれず、1960年代から農村部から武装蜂起した左翼ゲリラが現れ、その後50年以上続く紛争(内戦)に突入していきます。ゲリラたちは、徐々に強力な武力と戦闘員を抱える大きな組織へと成長し、公平な共産主義の理想をかかげ、地方農村部を次々と支配下に置きました。

1980年代に入ると、左翼ゲリラ組織は資金獲得のために違法作物の生産と密輸を急増させました。このころから、麻薬組織(カルテル)も各地で発生し、密輸によって莫大な資金を稼ぎ、勢力争いを繰り広げるようになりました。警察もほぼ機能しなくなり、無政府状態のような都市が増えていきました。

コーヒー農家も例外なく巻き込まれ、各組織からの強制的なコカ栽培への転換要求や暴力に直面しました。国際連合薬物犯罪事務所(UNODC)によると、1980年代のコロンビアでのコカイン生産は年間数十トンに達していたそうです。

1990年代には、さらに紛争が激化し、左翼組織最大の「コロンビア革命軍‐通称FARC」や「民族解放軍(ELN)」といった武装ゲリラ組織が農村地帯を支配するようになりました。これらの組織は資金調達のために農家から「革命税」を徴収し、支払えない農家は暴力にさらされました。

農村部の富農や大土地所有者たちは、自分たちの既得権益を守るために、民兵を雇い入れ左翼ゲリラたちに強く対抗しました。すると極右化した民兵たちが組織した「パラミリタリー」と呼ばれる準軍事組織が暴走をはじめ、左翼ゲリラの権益を奪うために戦闘の泥沼化を招いたのです。

2000年代に入り、政府は、毒を持って毒を制すとばかりに、パラミリタリー組織を支援して反政府組織と力で対抗するようになりました。これにより、紛争はさらに複雑化し、暴力の犠牲者となるコーヒー農家の数も急増しました。2003~2006年の間に、約30万人のコロンビア人が紛争によって強制移住を余儀なくされ、その多くがコーヒー農家でした。Human Rights Watchによると、特にこの時期にはパラミリタリー組織が強大となり、敵対組織以外にも多くの農民を虐殺し、土地を奪ったといわれています。

コロンビアは、歴史的に広大な土地の権益争いとつながってきました。各武装組織がしのぎを削って他勢力との戦闘を繰り広げ、土地や利権の奪い合いに明け暮れました。広大な国土だけに、軍や警察の治安機能が隅々までいきわたらなかったのもわかる気がします。

ゲリラが去った後に放置されたままの家屋(バジェ・デル・カウカ県)

農村部の被害状況

武装ゲリラは、地方の農村部で(資金源となる)麻薬栽培・加工、軍事拠点、警察や国軍・他勢力への攻撃などを行うために、農民を脅迫し家屋や土地を専有しました。

多くの子どもや若者は戦闘員として誘拐されたり、リクルートされたりしました。家主が歯向かったり情報提供の疑いをかけられたりすると暴力を受ける結果となりました。生き延びるためには、家族ぐるみで近隣の都市で避難民として過ごすしかありません。

わたしが実際に仕事で関わったコーヒー生産の集落の中に、「トルヒーヨ」という地区があります。スペイン語版WIKIPEDIAにも、この地区であった虐殺の事実(トルヒーヨの悲劇「Masacres de Trujillo」)が記録されています。1986~1994年に、この地区で武装グループによる神父さんや農民たちへの残虐な暴力がありました。今ののどかで平穏な農村の様子からは全く想像がつきません。

ここには、現在、多くの被害者や行方不明者のための慰霊碑と、虐殺の歴史を保存しようとする資料館があります。日本からの訪問者に資料館スタッフが虐殺のお話しをした時、余りの壮絶さにコロンビア人通訳者が泣き崩れてしまったことがあります。

トルヒーヨ虐殺資料館に併設されている慰霊碑
トルヒーヨ虐殺資料館には、殺害された人や行方不明者などの写真や歴史が公開されています

2024年6月の政府統計(Unidad de Victimas)では、約1千万人の紛争被害者認定が行われており、内 9百万 人の国内避難民(IDP)が発生しています。紛争被害者は家族の殺人・誘拐・脅迫・拷問などの被害を受け、ほとんどが土地・家屋を強奪されて避難生活を余儀なくされた人たちです。

全国民(約5千万人)のうち2割が紛争被害者というデータは尋常じゃありませんよね。これは、登録認定された人たちだけなので、間接的に被害に遭った人や登録していない人もいるので、実際はもっと多いと思われます。

紛争終結と平和に向けた取り組み

政府は、この紛争状態を重くとらえ、2002年より8年間在任したアルバロ・ウリベ元大統領は、徹底したゲリラ掃討作戦を展開しました。その結果、ほとんどの麻薬カルテルは解体、FARCを含む主要なゲリラ組織は大幅に弱体化し、多くの農村が解放されました。

ウリベ氏は、大統領就任前のアンティオキア県知事時代、父親をゲリラに誘拐・殺害された経験を持ちます。やり方はともかく、結果的に治安回復に大きく貢献したため、今も国民的英雄として人気の高いレジェンド政治家です。

その後、ウリベ政権時代に国防大臣であったフアン・マヌエル・サントス氏が、2010年に大統領に就任します(2018年まで)。サントス元大統領は、これまでの紛争の責任が政府にもあることを公式に認め、紛争被害者の登録と救済補償、国内避難民の土地返還と帰還を促進する法律を定め(2014年)、取り組みを進めました。土地返還を管轄する農業省によると、2019年までに約20万ヘクタールの土地が元の所有者に返還されています。

さらに、サントス政権が粘り強い交渉を続け、ついに2016年には、左翼ゲリラ最大のFARCと、歴史的とも言われる和平合意を締結し、戦闘員の武装解除が始まりました。以来、国際社会の支援も受け、投降兵士の社会統合(コーヒー生産者になる職業訓練プログラムなどもあります)、FARCの政治参加、被害の特にひどかった紛争地への重点的支援などが行われています。サントス大統領は、これらの功績が認められ、ノーベル平和賞を受賞しています。

現在は、コロンビア初の左派出身である現政権のグスタボ・ペトロ大統領も、サントスの路線を引き継いでおり、「Total Peace(全面平和)」政策を打ち出しています。特に、地方農村部への手厚い支援政策になっており、格差是正に向けて期待が高まっています。

各政権ともに、政府は和平交渉と被害者補償のために全力を尽くしてきましたが、近年はFARC分離派や準軍事組織から派生した新興武装組織といった、新たな犯罪組織が台頭してきています。新興組織は、FARCの去った空白地への勢力争い、政治哲学なき単なる違法な経済活動(麻薬密売・誘拐・ゆすりなど)、取り締まりの警察官への報復行為など、犯罪手口も変わってきています。

紛争は、和平合意が結ばれ、戦闘が終わったらすべて解決!とはいきませんね。

紛争に後戻りしないように、農村振興、人々の生活再建、格差改善など、まだまだ持続的な平和の達成には課題が山積みです。コロンビアはまだ紛争が完全に終結していませんが、犯罪組織対策や和平交渉などを進めながら、社会開発を同時並行して進める必要があるのです。

紛争被害にあった村人たちの慰霊碑があるコーヒーコミュニティが多く存在する(慰霊碑の奥がコーヒー畑)

コーヒー農家の紛争被害といま

コロンビアコーヒー生産者連合会(FNC)によると、紛争影響により1990~2000年代にかけてコーヒー農家の数が大幅に減少しました。90年代初頭には約50万世帯のコーヒー農家が存在しましたが、2000年代半ばには国内強制避難の影響により、約35万世帯に減少しました。これにより、多くの農家が生活の糧や農地を失いました。

現在紛争被害者として登録されているコーヒー農家は約68万人です (Unidad de Victimas公表)。これは、コロンビアのほとんどのコーヒー農家が、紛争の苦難を経験していることを物語っています。

特に若者、女性、先住民、アフロコミュニティなどがその影響を強く受けました。農村の若者は紛争の中で武装組織に強制的に徴用されることが多く、女性は性暴力の被害に遭いやすい状況に置かれていました。先住民などのマイノリティは、歴史的にも常に弱い立場にあり、土地の強奪や差別に直面してきました。政府は、現在、国策としてこのような脆弱層を優先的な支援対象としております。

局地的にまだ戦闘が続いているところもありますが、2010年代ごろからようやく安定を取り戻してきています。ゲリラが去り、自分たちのふるさとに戻った多くのコロンビアのコーヒー農家は、平和の果実を享受し、再び自由で安定した生活と生産事業を取り戻しつつあります。政府の土地返還・帰還促進政策により、現在は約56万世帯がコーヒー生産に従事するまでに回復しています。

わたしと一緒に働いていたコーヒー農家さんたちは、みなラテン気質らしくいつも明るく陽気です。しかし、強制避難生活や家族を失った経験をもつ人も多く、時折涙ながらに当時の記憶を振り返ります。

紛争被害で傷ついた心身をかかえながらも、前を向いて、たくましく、親の代から受け継いだコーヒー生産に取り組む姿は、本当に胸をうたれます。

たくさんの苦労と希望のつまった珠玉の一杯、心していただきたいですね!

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

紛争被害者であるコーヒー農家が団結してコミュニティの絆を再構築(トルヒーヨ地区)
コロンビアコーヒーは農家の希望がたくさん詰まってます!
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