開発途上国に協力を行うために、日本は政府開発援助(ODA)というスキームで支援を行っています。
外務省公表によると、2023年度のODA実績は、アメリカ・ドイツに次ぎ第3位で、2兆7,540億円でした。
この金額の多くは、有償資金協力(貸付け)、無償資金協力、技術協力などの分野があり、わたしは技術協力の分野で現場に派遣され、数々のプロジェクト運営に携わってきました。
技術協力では、各国の開発課題に合わせ、教育、医療、平和、ジェンダー、農業、産業、エネルギー、環境、民間セクターなど多岐にわたる分野の要請に応えています。すべての最終目標は、人間の安全保障です。
実は、日本の国民は、税金がその財源となっているODAが開発途上国でどのように活用されているのか、現場の活動に関してあまり馴染みがないと思います。
2017年から2024年までの間、わたしは、コロンビアの紛争被害を受けた零細コーヒー農家の生活再建から平和の定着に向けた協力現場でプロジェクトの運営管理・技術指導に従事しました。(2020~2021年のコロナ禍は、日本で遠隔業務でした)
開発途上国における異文化、いわば完全アウェーの中で、常識も考え方もまったく違う人たちとの協働は楽ではありませんが、人のために働くやりがいは非常に大きいものがあります。
このブログを活用し、一般の人たちにもODAの現場活動の実際を多くの人に知って頂きたい思い、わたしのコロンビアでの技術協力の活動経験を写真とともに共有していきたいと思います。
今回は、ドキュメンタリーっぽい書きぶりをしてみたので、コーヒーを飲みながら、ぜひ最後まで読んでみてくださいね!
この記事に関心があると思われる人 ✓コロンビアコーヒーに興味のある人 ✓国際協力に従事する人、これからしたい人 ✓復興支援や平和構築活動に関心のある人 ✓小規模コーヒー生産者の背景について知りたい人 ✓コーヒーを売っている人 |
コロンビア紛争被害と平和定着への取り組み
コロンビアは、陽気でフレンドリーな人々、各地での独特な文化や美しい自然など、一度住むと多くの外国人が魅了される国です。
ですが、日本におけるイメージは、「コロンビア=危ない国」の印象から脱却できていません。このブログを読んでいる方の大半も、そう思っているのではないでしょうか?
というのも、地方農村部において土地や政治利権を争って1960年代以降発生した反政府ゲリラとの武力闘争が継続し、多くの国民が犠牲になってきたことなどがこれまでの治安の悪さに影響しています。
2024年6月の政府発表(Unidad de Victimas)によると、人口5千万人の内、紛争被害者数は全国民の2割の約1千万人にのぼります。
被害者は、農村部に住む貧困家庭、女性や子ども、零細農家、先住民などの脆弱層が大半です。
紛争からの復興に向け、コロンビア政府は全力で平和の定着に取り組んできました。
父親をゲリラに誘拐され殺害されたアルバロ・ウリベ氏は、2002年の大統領就任以降、強硬な掃討作戦を展開しました。軍事作戦を経て徐々に武装勢力も勢いを失い、2000年代前半をピークに紛争被害者数も毎年減少しています。
さらに、2016年には、マヌエル・サントス元大統領と、最大の反政府左翼組織であったFARC(コロンビア革命軍)との間で歴史的な「和平合意」が結ばれると、農村改革や被害者補償、戦闘員の社会統合などの平和構築政策が発表されました。
2022年にはコロンビア初の左派政権であるグスタボ・ペトロ政権が誕生し、「全面的な平和(Total Peace)」政策として継承されています。
これらの政府の取り組みを後押しするため、日本はコロンビアで、投降した元戦闘員家族や受入コミュニティの起業支援、地雷除去、平和教育、障害者支援など、様々な技術協力事業を実施してきました。
わたしは日本政府派遣において、紛争被害者家族の生活向上およびコミュニティの再建に向けた2つのプロジェクトに参加し、協力現場の運営管理を経験しました。
実際の紛争被害者コミュニティの支援現場を、2つ紹介してみたいと思います。
国内避難からの帰還民コミュニティの自立と信頼醸成
コロンビア第3の都市・バジェ・デル・カウカ県カリ市から陸路約4時間の距離に位置するラ・モレナ村は、伝統的にコーヒーとバナナ栽培を主とする山岳地域の農村です。
1990年代から10数年にわたって左翼武装ゲリラと極右民兵組織(パラミリタリー)の武装闘争に多くの零細農家が巻き込まれ、土地・家屋を強奪され、暴力を受け、家族を失いました。
住民の大半が近郊都市へ避難し、村にはほとんどいなくなった時期もあります。
2010年ごろからようやく武装組織が去り、住民帰還が始まりました。
しかし、家屋や耕作地は破壊され荒廃しており、心身に傷を負った状態で、帰還民である住民は自身で立ち上がる気力を失っていました。
他人の援助なしには生活できないと考えている人がほとんどだったのです。
ここでは、コロンビア農業省傘下の政府機関「土地返還ユニット(URT)」の公的支援として、国内避難先から帰還した家族に、家屋や農業資機材の供与と、2年間の技術指導サービスが提供されています(2014年に紛争被害者を支援対象とした「土地返還・被害者救済法」が制定され、その枠組みにおける制度です)。
また、URTの指導により社会統合を目的に、帰還民10家族の農家による「ラ・モレナ農業生産者組合」も設立されました。
URT担当行政官は、「帰還家族は個別支援によって生活再建を進めているが、市場アクセスも途切れ、住民の関係性も希薄なまま。若者は戻ってこない。自立できないと支援終了後の生活が気がかりだ」と話していました。
そこでこのような帰還民集積地で、コミュニティの再建につながるような事業を推進し、住民が社会・経済的に自立するための支援を、日本に要請しました。
日本政府はURTの要請に応え、2017年にコロンビアに派遣された私はラ・モレナ村に現地入りしました。
この地域は、安定を取り戻しつつありましたが、ゲリラ残党の可能性や治安が完全に回復していないため毎度の訪問は武装警察の警護付きでした。URTを良く思わない犯罪グループも各地で存在していたのも事実です。
余談ですが、村に車で行く途中、不審車両とバイクに前後に挟まれたことがあります。。その時は運転手さんがスピードを上げてなんとか振り切り何事もありませんでしたが、私を含め同乗者に緊張が走りました。
さて、私はURTとともに、住民との初回会合を開きました。日本の協力が来ると知って組合員以外の多くの住民が集まってくれました。
そこでわたしは、「日本の協力は物資や資金の供与が目的ではありません。みなさんが望む事業を一緒に計画して、協働経験をつみ、支援が終了した後も継続できる事業を作り上げる手伝いをします。施しを受ける〈紛争被害者〉から、プロフェッショナルな〈農業事業者〉として自立しましょう。まずは共同事業案を次回会合まで話し合ってください。」と説明しました。
一か月後に再訪問した際には、30名が集まっており、組合長から渡された一枚の紙に書かれたプロジェクトの提案内容は以下のとおりでした・・・
プロジェクト案:「コーヒー豆乾燥機30台、脱殻機30台、水洗用水槽30台、殺虫剤噴霧器30台、新品種苗30000本、各種肥料30式」
個別に供与し配布してほしいのとのこと。他人との一緒に働くという考えはありませんでした。
「うーん、援助依存が強いせいか説明した意図が理解されなかったかぁ・・・」と思いました。個別支援はURTがやっているし、物資を供与するだけだけでは、コミュニティの地域力が強化されません。
紛争で傷つき人道的に物資支援を受けてきた被害者は、施しを受ける当然の権利があり、それこそがプロジェクトと考えるのが普通です。
だから、物資支援先行に了解しない私との会合は、徐々に参加者が減っていきました。
URTスタッフからも、「被害者農家は他人への不信や個人主義が強く、協業など集合アプローチは機能しないだろう」「気持ちはわかるが、参加インセンティブも必要だ。何かあげてから考えてみては」と言われるようになりました。
物資支援偏重では援助慣れを助長し、参加者の考える力や行動力が育たない。地域の力が育たないと支援が終われば元に戻ってしまいます。他国において、援助慣れした裨益者の自立発展性が育たなかった協力経験から強くそう感じました。
訪問を繰り返すも一向に進まない事業計画に、私自身心が折れそうになっていたところ、組合長から「肥料や農業資材の価格が上昇しているので、有機肥料の作製をみんなでやるなら支援してくれるか?」と相談を受けました。実は、このリーダーも、コミュニティを纏めて昔のような結束を取り戻したいと考えていたのです。
「コミュニティベースの有機肥料作製事業」の提案により、私は「この事業に興味のある住民全員をすぐに集めて欲しい」と依頼。
すると村の42家族が集まりました。
そこからの動きは早く、理事会・URT担当者と活動計画案を作成し全員で合意しました。
その後、支柱用竹材など現地資材を持ち寄り全員で「有機肥料作製所」を建設しました。村の人たちはこういうハンドメイドが得意です。
わたしに許されていた日本の予算からは、レンガやトタンなど基礎資材の提供と、現地雇用した有機農業の専門家を通じて作製所の設計・建設指導を行いました。
建設後は、環境保全型農業の理論や有機農業の技術研修、施設利用の規則づくり、運営委員会の設置、事例視察旅行、有機肥料の共同作製などの活動を行い、人材育成や協業の仕組みづくりを図りました。
そのうち他の地域の農家からの注文がくるようになり、作製した有機資材を販売することができました。ちょうど化学肥料などの資材価格の高騰が広がってきていたので、外部からの注文も増えました。
やがて組合は、支援に頼らず、自分たちで集めた組合費で原材料を購入し、コーヒー生産の端境期などに組合員を雇用し、肥料の受注生産を行う企業活動に発展してきました。
活動に熱心に参加した組合員の中から、収入が大きく増えて家を増築した人もいます。
将来に向けて活動を発展させるべく、共同の苗床事業も実現させました。作製した有機肥料を使って、コーヒーの苗床を共同で管理する活動を行ったのです。種からコーヒー豆を育て、各組合員の農園に配布するという狙いです。
ゲイシャ種・パカマラ種・ピンクブルボン種といった高付加価値品種の種子を試験的に供与し、将来の新しい事業へのタネをみんなで撒きました。
文字通り「平和コーヒー」としての未来への種まきです。
2023年に再赴任した際に、組合長から初めて収穫したブルボン種の生豆300gがきれいに包装され、ボゴタの自宅に送られてきました。
みんなと一緒に種子から育てた、最初の実の真の初摘みです。早速、自宅のフライパンで焙煎し、試飲してみました。少し浅めに煎ってみました。
さっぱりとしてさわやかな酸がとてもフルーティ!
テイストも良かったのですが、やはりプロジェクト参加者の想いのいっぱい詰まった一杯に対するその時の感動といったら忘れられません。
日本の協力後、URTのフォローアップによりラ・モレナ村から日本へのコーヒー豆の輸出55トンも実現しています。
さらに組合の女性や若者のグループによる環境保護活動や学校菜園支援など、自発的な社会活動も開始されました。
42家族で始めた事業は、2020年の協力終了時には58家族に増え、現在(2024年)は村全体の92家族が参加しているそうです。
「将来100%有機コーヒーを生産できるようにして、より多く日本に輸出したい」と話す住民からは、物資支援を望む声は聞かれなくなりました。
この帰還民家族のコミュニティ事業は、新規収入源を創出し(経済的効果)、紛争で傷ついた住民間の交流や信頼関係(社会的効果)を生みだす効果を生んでいます。もちろん、化成肥料100%だった各農園に7割近くの有機資材の活用により、土壌改善など持続的農業が導入された効果(環境保全効果)もあります。
つまり、「サステナブルコーヒー」に近づいたのです。
この新しいコミュニティの絆が、相互扶助の仕組みとなって今後予期せぬ脅威に対しても自分たちだけで跳ね返す力(=紛争に逆戻りしない平和の定着)になっていくと期待しています。
コロンビア政府もこの活動を高く評価し、他地域への紹介用に広報動画(英語字幕)を制作してくれました。日本語字幕版も制作されているのでぜひご覧ください(コーヒー農園の様子もよくわかりますよ!)。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
この続きは、コロンビアコーヒー農家への日本の協力ーその2(農村女性支援編)をご覧ください!
紛争被害者にあった女性コーヒー農家支援のプロジェクトから、日本の平和協力や国際協力について思うことを書いていますのでお楽しみに!